2021年05月06日

永楽而全

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千家の茶道具を長年作り続け、千家と共に歩んできた、職家10家を、「千家十職」と呼びます。

明治の初めころに整った千家十職も、現在では10家全て揃っておりませんが、
私ども千家流の茶人にとりましては、如何なる名工であろうと、人間国宝であろうと、
千家十職に叶うもの無し。と言った感じで、「十職物」をちんちょう致します。
それは、千家十職の方々の殆どが千家茶道をキチンと修め、数百年の間 茶の湯の心に叶う最高の作品を作り続けているに他ありません。

現在でも毎月1日は、千家十職の方々は必ず千家に出仕し、家元 松風楼に於いて家元と共にお茶を頂きながら道具談義をされております。

その千家十職の一つ、永楽善五郎家の17代当主が、この3月に隠居し、家督を息子さんに譲られ、「而全」とのなのられました。

永楽家は、土風炉師で、他に茶碗、水指、香合など、磁器や陶器の茶道具を沢山製作されております。

私が若い時は、永楽家の当主は16代善五郎(即全)さんでありました。

たしか、2001年か2002年に16代善五郎さんは隠居され、その息子さんが17代になられた事も覚えております。

私が、2002年(平成14年)3月に、初めて、大阪の菓子舗 鶴屋八幡さん内の茶室にて行われている月釜「曙会」で席主を担当させて頂きましたのは、33才の時でありました。

その時に、薄茶の替茶碗を探しに 大阪のある茶道具店を訪れた時に、そこの主人が「若いあなが初めて大きなお茶会の席主をされるのだから、お茶碗も襲名されたばかりの この新しい永楽さんのお茶碗をお使いなさい」
と言って、奥からお茶碗を出して来て下さいました。
「まだ焼きあがったばっかりで、熱々ですよってに、持ったら火傷しまっせ!」などと冗談を言いながら、この美しい 桜に雉の絵のお茶碗が出て来て、私は迷わず購入しました。

そんな事からおよそ20年が経ち、その茶道具店も代替りし、私も茶道教授として独り立ちさせて頂き、そして永楽さんも代替りしました。

昨日は、立夏で5月5日の端午の節句。
桜も既に跡形もなくちりましたが、永楽家の代替りを耳にし、ふと永楽而全さんの茶碗と私の思い出が蘇り、出してみました。

代を譲った言え、まだまだお元気な永楽而全さん。

これからも、素晴らしい作品が出来て来るのを楽しみにしております。

花落木猶香 (はなおちて き なおかぐわし)

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2021年05月02日

美しき夕ざりの茶事その2

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当ブログの前回のお話しで、夕ざりの茶事における 白昼から夕闇にせまる時の美しさの一部を紹介いたしましたが、
茶事の美しさは、景色、道具、料理だけではなく、「人の心の美しさ」も見事に引き出してくれます。

例えば、連客同士に致しましても、わずか4時間程度の茶事を一回共に経験しただけで、お互いのお茶に対する気心が知れて、数年くらいお付き合いした茶友と同じくらい仲良くなれます。
また、客と亭主との間でも同じ事が言えます。
これは、本当に不思議な事です。

茶事とは、同じメンバーで同じ場所で何回やろうとも、同じ茶事にはけっしてならず、一回一回の茶事が、まさに「一期一会」であります。

それは、もてなす亭主も、もてなされる客も、それぞれ持ち合わせた在らん限りの思いやりの心を遣い、その時、その時の茶事を人生の最高のものにしようと努力するからです。

言わば、茶事に携わる者全ての最も美しい心の共演であります。

今回の茶事も、平素より親しくて頂いていたご亭主ではありましたが、茶事に呼ばれるのは初めてで、この茶事でご亭主の人柄、優しさが改めてて感じ取る事が出来ました。
ご連客も、お一人はその日に始めてお目にかかるお方でしたが、その誠実な人柄、知識の深さを知りました。
僅か4〜5時間の間に、主客共にとても親しくなり、私にとりましては、何年も前からの知り合いのような大切な茶友の1人になりました。

そもそも茶道の大切な修練の一つに、「思いやりの心を養う」事があります。

茶道の経験を積み、修練を重ねて来た者同士であるからこそ築き上げる事のできる友情はあります。

と、申しましても、時折、皆んなが嫌な気分になる人が連客の中にいらっしゃる場所もあります。(例えばお茶会警察のようなオバアさんとか^_^!)
しかし、そのような、嫌われ茶人は、最近はかなり減り、絶滅寸前にまで減少しております。
巣ごもり生活で、茶会、茶事もだんだん減り、巣ごもり解除後には、もうほぼ絶滅しているかも知れません(*´ω`*)

まあ、人様の事はさておき、

今後も美しい心の方々に接し、ひいては、社会生活においても、内面から美しくある為に、お茶の修練を積みつつ、指導に当たって行きたいと、改めて
今回の茶事を通して認識致しました。

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posted by 堂後茶道教室 at 23:12| 日記

2021年05月01日

美しき夕ざりの茶事その1

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まるで梅雨の晴れ間のように奇跡的に一日だけお天気になった昨日、京都S様宅へお茶事に招かれてまいりました。

S様は、数多くの貴重なお道具を持ち、ユニークなお茶事をされる事でも有名な方です。

今回ご案内を頂いたのは、「夕ざり」
午後3時くらいから、ゆっくりの始めて日が陰り行く様をも楽しむ趣向の茶事であります。

ご存知の通り、茶事は、(だいたい炉の場合)客が席入して初炭点前がされます。
初炭点前が終われば、間を開けず懐石料理を頂きます。
懐石に続いて菓子を頂き、一旦 客は露地に出ます。(中立ち)

ここまでを「初座」(しょざ)と申します。

中立ちの間、亭主は茶室の中を掃き清めたり、濃茶の設えに変えたり致します。
客は、この間、露地にて閑談したり、手洗いを済ませたり、心静かに亭主の迎えを待ちます。

やがて茶室が整い、亭主の迎えがあります。

大抵の場合、亭主は、銅鑼やカンショウを打ち、音で知らせます。

客一同は、この「鳴り物の音」を心して聞いて、再び茶室へ入ります。

この後、茶室では、濃茶、後炭点前、薄茶と続き、これらを「後座」(ござ)と申します。

本来、正午から行う「正午の茶事」も、早朝に行う「暁の茶事」や、「朝茶」は、
初座が陰、後座が陽 のような背景になりますが、
この、夕ざりの茶事は、初座が陽、そして日も傾く後座が陰となり、いつもと逆の面白さが有ります。
即ち、初座では、正午の茶事とほぼ変わりない背景でありながら、後座では、蝋燭、行燈などの灯りを用いて、さながら「夜咄の茶事」のよになります。

いわば、一回の茶事で、二通りの楽しみができます。

今回の茶事も、
初座では初夏のような抜ける青空に青楓がなびき、露を打たれた苔がキラキラと光り輝く露地を通り 席入すると、比較的明るい小間の中では、行く春を惜しむかのように もはや仕舞われんとする炉に、筒釜が一つ自在に掛りながら、静かに松風を立てておりました。
茶室では、窓も貴人口も少し開けてあり、時折吹き込む爽風に、床の花も揺らいでおりました。
亭主心尽くしの懐石、菓子を頂き、中立に露地に出ますと、少し日が傾き、なんとも言えぬ晩春の黄昏に、後座の期待が胸を膨らませます。

大、小、中、中、大

と亭主は、カンショウを5回打たれ、席入したら 席中には蝋燭、古い朝鮮のランプなど色々と明かりが灯り 御座は一変 夜の茶の雰囲気になっております。

濃茶、薄茶を頂き、退席したら、露地にも、母屋の廊下にも、足元行燈が用意され、ご亭主の心遣いに感動致しました。

待合にて、さらに果物とほうじ茶を頂き、奈良まで帰る英気を養い、帰途につきました。

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