早いもので三月になりました。
奈良東大寺では、「お水取り」で知られる修二会が始まり、古都奈良にも春の訪れが近づきます。
修二会は、東大寺初め関係寺院からの選りすぐりの僧侶が世界の平和と人々の暮らしの安寧を身を呈して祈って下さる 大変有難い式であります。
時下、報道等で皆様もご存知の通り戦火にある国もこの世界にはあります。
1日も早く収束し平和な日々が戻る事を、私どももお祈りしたいと思います。
さて、茶道はやっていない方から見たら 堅苦しい物の代表のように思われているのは私も承知しております。
そう思われるのも、本当の茶道の良さを上手く世に伝える事が出来ていない私達 茶道の教授者の責任でもあります。
茶道の究極は、「相手をもてなす」事にあり、もてなす側の亭主は真剣でありますから、なるほどに外から見たら堅苦しく見えるのかもしれません。
また、もてなしを受ける客側も亭主の心遣いをキチンと受け止めてこその礼儀ですから、自ずとその立ち居振る舞いにも堅苦しさが見えるかも知れません。
もてなす方(亭主)、もてならされる方(客)、それぞれにある一定のルールの様なものがあり、ある種「ゲーム性」のようなもがあるようにさえ感じる事もあります。(点数も勝ち負けも無い不思議なゲームです)
しかし、亭主、客とも、お互いにルールをキチンとわきまえ、両者の心がピタリと合った時の心地良さは格別であります。
これは社会一般でも言える事では無いでしょか?
教養、常識が合った者同士が会話や仕事、ビジネスなどで考えや感性が一致した時の心地良さと似ているように思います。
茶道では、少し面倒な規矩作法や学校では習わなかったレベルの歴史、伝統芸術、歳時記などもゆっくり学んで参ります。
これは、亭主としても客としても心地良いお茶を一服頂く為です。
ルールがあってこそ、知識があってこそ、
その同じステージに立つ者同士の楽しみが共感できるのであります。
堂後茶道教室http://www.dogo-sado.jpn.org