2024年04月06日

大瓶水指。水温む頃

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四月に入り、まるで暖房のスイッチをONにしたかの様に一気に春の陽気に包まれております。

さて、本日は大瓶水指(おおかめみずさし)のお話しをしたいと思います。

千家の10代家元吸江斎が、紀州徳川家の徳川治宝公より、瀬戸染付の大きな瓶を拝領しかことにより始まります。
千家では、その瓶を水瓶としては使わず、珍重し茶席にて「水指」として用いました。

水指の事とて蓋がいります。蓋は丁度良い大きさの丸いお盆をひっくり返し蓋と致し、これを「盆蓋」と申します。

拝領した有難い瓶だけに、千家ではこの大瓶水指を大板に乗せて使います。

私達が大瓶を適宜に盆蓋で水指に使う場合は、大板に乗せずともよし。との教えもあります。

私は、いつかはこの大瓶水指を自身でも使いたい!とかなり昔から念じておりました。
しかし、有り合わせの「なんちゃって」でするのは嫌いです。

「見立て」と言う都合の良い言葉を悪用し、実際の水屋瓶など用いたりなど「なんちゃって」で子供騙しの道具で色々とお稽古されている先生がたまにいらっしゃいますが、道具の次第や意味を教えるのも先生の大切な仕事なので、ただお点前のやり方だけ教える為のお稽古はいただけません

(また、お話が少し脱線しました。すみません^_^!)

本物の瀬戸染付か、それに値するくらいの瓶がほしいな。と思っておりましたら、
先日の私の茶歴50周年の記念茶会の祝いに。と、名古屋の古橋尚かんがご自分のコレクションの中からこの瓶を私に下さいました。

この瓶は、千家に伝来するのと同じくらい歴史のあるもので、江戸の終わりに尾張徳川家の御庭焼で作られた物か、明治の作としても、明治のかなり早い時期の物だそうです。

お茶会の翌日、早速、直径9寸の山道盆を蓋にしたところこれまたピッタリ。
本当に感謝です。

このブログでも度々お名前を出させて頂きます古橋尚さんは、名古屋で活躍されている陶芸家でもあり、古美術収集家でもあり、また、古美術評論家でもあり、沢山の美術雑誌のコラムを書いたりもされておられます。

もちろん、私は千家の教えに従って、大板は敷かずこの瓶を使います。

千家ではこの大板水指を、いつも春の盛りのこの時期に使います。

雪解けの水が満々と豊に湛えるさまを瓶に託しての事だそうです。
「水」は本来冷たさや涼しを感じさせるものながら、この時期の瓶に湛える水をみていたら、何故か「暖かさ」を感じます。

まさに、春の「水温む」(みずぬるむ)を拝領水瓶で見事に表現された先人の宗匠は素晴らしいと思います。

お茶の道具やその設え方、組み合わせ方には、深い意味や沢山の答えがあります。

お点前を通して、そんな事を教えて行きたいと思います。

堂後茶道教室http://www.dogo-sado.jpn.org
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2024年03月31日

今年もお茶事をします!

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先日、3日間に亘り三五夜の月釜を担当させて頂き全国から沢山のお客様がお越し下さり、本当に感謝しております。

「全国から沢山のお客様」とは、このブログを長年読んで下さっている方や、私のインスタグラムのフォロワー様、サロン三五夜さんのファンの方々でして、あのお茶会は、さながら最近流行りの「オフ会」とでも言うのしょうか(笑)^_^!

そこで多くのお客様が私に向かっておっしゃったのは2つありましま。
まず一つは、ブログを楽しみにしているのでもう少し頻繁に投稿してほしい。
そしてもう一つは、時々インスタグラムやブログでも紹介されている私の茶事にはどのようにしたら参加出来るのですか?
との事でした。

一つ目の要望であります「ブログを頻繁に投稿して欲しい」ですが、この件に関しましては、この1〜2年、インスタグラムに追われてブログが少々手薄になっておりましたのは確かで、これは反省しております。
ある方が、インスタグラムの投稿がブログの投稿にスライドするようにされては?と言って下さいましたが、今のところその気はありません。
インスタグラムとブログは別々き書いて投稿しようと思っております。
少女三日坊主癖のある私でありますが、今年は茶道歴50周年の記念すべき年でもありますし、心を入れ替えて、出来るだけブログの投稿も頑張りたい気持ちがあります。
また、ホームページも少しずつ改善して行きたいと思っております。

もう一つのご質問の「茶事への参加」で御座いますが、最近茶事は、全て三五夜さんで行っております。
三五夜さんでは、厨房も有り、建物、間取りの関係から小回りが利きとても茶事がしやすい。と言う事と、いつも懐石料理を作ってくれている料理人のマキタさんが、三五夜での勝手に慣れて頂いている。店主の黒田氏が、私と「共同亭主」と言う動きをして下さり、とても助かる。と言った理由からです。

実は、三五夜での茶事は何年も前からやっていますが、一般に募集した事は一回もなく、全て口コミや社中、私や黒田氏の知人に声を掛けてのみでやっております。

しかしながら、このブログを長年読んで下さっていたり、私や三五夜さんのインスタグラムを見て下さっている方々も、もし茶事にご興味ある方々がいらしたら、三五夜さんの方に直接問い合わせてみて下さい。
空きがあればどうぞお越しください。
今年の茶事で今のところ決まっているのは、
4月14日(日)、15日(月)
9月29日(日)、30日(月)
11月17日(日)、18日(月)
因みに、4月は、「さくら鯛を味わう春の正午の茶事」と題して、春のさくら鯛の懐石を楽しんで頂きます。

いずれも、なかなか予約の取れない人気の若手料理家、マキタジュンカさんの懐石料理をお願いしております。

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2024年03月26日

満員御礼!三五夜月釜

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3月23日(土)〜25日(月)の3日間に亘り、奈良市三条町の三五夜で3月の月釜を担当させて頂きました。
今回の月釜のテーマは、私の「茶道歴50周年を記念して」でした。
取り立て、いつもながら取り立て名物の道具とて特に無かったのですが、今回は50年間の私のお茶の歴史に思い出深く残る道具を色々と使わせて頂きました。
3日間とも生憎の春の嵐で足元が悪い中、北は北海道、東京、名古屋はじめ全国色んな所から多数のお客様が来て下さり、本当に有難うございました。
普段、当ブログやインスタグラムで私の投稿を見て下さっていて、今回初めてお会いした方も沢山いらっしゃって、SN Sの威力に驚かれされました。
今回使った道具に纏わるお話しを一つ一つしておりましたら膨大な長さになりますので、この投稿では、掛軸と、棚の2つのお話しをしたいと思います。

まず掛軸ですが、
而妙斎宗匠筆 懐紙 春風入寿盃(しゅんぷう じゅはいにいる)であります。
この軸は、今から23年前(33歳の時)に、私の先生から宗匠に直にお願いして書いて頂いたものです。
初めて私が持った家元のお軸です。
当時まだ、33歳と言う若輩の私に先生が、大阪の鶴屋八幡本店で毎月第一日曜日にされている月釜「曙会」で釜を掛けてみなさい。とおっしゃいました。
当時は、まだまだ茶道が盛んでお茶の先生方が群雄割拠していた時代で、まさに戦国時代^_^!
いかに表千家と言えども先生同士で道具や社中の数を競い合う、「仁義なき戦い」が繰り広げられる恐ろしい時代でありました。

その中でも、かなり強い立場にいらした私の先生が、未熟者の私に、月釜の担当をしてみなさい。と言って下さったのです。

月釜の担当をするものの、お道具などない一つ持っていません。と言うと、では、せめてお軸でもお家元にお願いして下さったのです。

(当時の月釜は、曙会でも、その他でもお待合に飾っておく箱書の数を数えて、○○先生のところは少なくい。とか、数があっても、家元のは少しで、久田さんや堀内さんの箱ばっかりや。とか陰口を言うのが楽しみに来ている方もいらっしゃいました)

しかし、そんな時代ではありましたが、若かった私は先生はじめ皆様の暖かいお力添えで33歳で亭主デビュー出来ました。

次に、思い出の道具の一つに、「八景棚」があります。
この棚は、即中斎好みですが即中斎は正式な扱いをお決めにならずに亡くなっておられます。
比較的、自由に楽しめる棚であります。

この棚は、私の先生が60歳の還暦の歳に大徳寺の三玄院で献茶と月釜を担当され、その時に使われた棚です。
私も、当時大学生でしたが、お手伝いに出させて頂きました。
その茶会が私にとって初めての大徳寺で、大変感動しその感動は今でも忘れません。
是非とも八景今回使いたくて、この茶会の為に購入しました。

今回の茶会は、3日間それぞれ3席。合計9席ありまして、お手伝いの社中の皆さんや、客として参加してくれた社中皆さんにとりましても、お茶の思い出の1ページになったら嬉しいと思います。

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2024年03月11日

ちょっと美味しいもん

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先週末から昨日までは寒の戻りで日中も寒かったのですが、今日から一転し、春の暖かさが戻ってまいりました。

今週はお稽古も水曜日と土曜日だけなのでゆっくりできます。

今日はお稽古用のお菓子の買い出しを兼ねて、天王寺アベノハルカスまで行ってきました。

買い物を済ませましたが、この陽気に誘われて、周辺を少し散歩する事にしました。

天王寺アベノハルカスを西に行きますと、「山王」(さんのう)と言う名の地区があります。
この地区は、昔、(てんのじ村)と呼ばれて、多くの芸人や将棋さし、職人などが暮らす下町でした。
一部戦災を免れた場所もあり、戦後にはその地区にさらに人家が密集し、人の息遣いが感じるほど人間味溢れる面白い地域になって行きました。

私は、ずっと以前からこの山王地区に興味を持っており、時々ゆっくり「探検」しております。

今日は、新世界と呼ばれる場所の東の端にある「ジャンジャン横町」と言う商店街を南へ南へとひたすら進んで行きました。

やがて、大きな通りでジャンジャン横町商店街が終わりますと、続いて「動物園前商店街」になります。
この動物園前商店街も、かなりディープな商店街で半分くらいシャッターが降りていて、残された店も大部分が、あやしげな中国系のカラオケバーになっております。
動物園前商店街をさらに南へ南へ進んで行きました。
行けば行くほど、そのディープさが増してまいります。
そんな街の雰囲気がちょっと苦手な方は途中で引き返されるかもしれません。
かなり、香ばしい雰囲気の方々もいっぱい歩いておられます^_^!
でも、私、結構そんなのが好きだったりします。

さて、そのディープな動物園前商店街も一番街を過ぎて、さらに二番街へと突入します。

もう雰囲気は、昭和と言うか、戦後間もなく。と言ったところでしょうか?

ニ番街をさらに真ん中辺まで進むと、次に、動物園前商店街から枝別れした、細くてさらに寂れた「山王市場商店街」があります。
この山王市場商店街を抜けると、山王地区の中心部に出ます。

山王市場商店街に至っては、昭和初期か或いは、大正時代の面影すら残っております。
少なくとも、時計は、100年は逆回りしています。

山王市場商店街の終点近くに、
これまた、戦中映画のセットかな?と思うような、今まで見た事の無い、超味わいの深いうどん屋さんを見つけました。

その名も、「助六」

暖簾もかかっているし、前に自転車もあったし、中からラジオの音らしい声も聞こえて来るので、思い切って、とりあえず入り口の戸をガラガラと開けて中に入りました。

中は、6畳くらいの広さの土間で小さな机が二つ。一つの机は4人かけです。

店の内装もまるで昭和初期と言うか、戦時中の映画で見たような雰囲気。懐かしいハエ取り紙も吊してありました。

店の雰囲気とは違って、とても品の良さそうなご主人が「いらっしゃいませ」と現れました。
私は、無難にきつねうどん を注文してみました。

正直なところろ、お味は、どこにでもある大阪の普通に美味しいうどんでしたが、店の雰囲気、店までの道中の景色を考えますと、かなり貴重なきつねうどんだと思います。

お値段も、お安いです。

ご主人と少しお話しをさせて頂きました。
定休日は水曜日で、朝は9時くらいから開店し、午後は3時半くらいには閉めるそうです。

この助六うどんさんを、ググってみたら、やはり、ディープグルメマニアの方たちも結構行っておられるみたいで、ブログなどで色々と紹介されています。

天王寺から少し足を伸ばして、昭和初期の世界に少しタイムスリップされては如何ですか?

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2024年03月02日

ただ一つこの道を歩んできました。

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早いもので3月になりました。
お茶の行事としましては、
1月は新年早々の大福茶、2日間に及ぶ初釜、東京府中にあります龍生軒様のお茶事にお招きを受け、社中のN村さんと共に東京出張。
2月は、出稽古先の三五夜教室の皆さんの初釜にあたる新春茶会。
とバタバタしていましたら、すぐに3月になってしまいました^_^!

3月と言えば、今月、23日(土)、24日(月)、25日(月)の3日間にわたり、隠れやサロン三五夜さんの月釜を担当させて頂きます。

三五夜さんでは、毎月月釜をされていますが、そちらの監修や、茶道教室も受け持たせて頂いている行き察上、私も年に一回だけ月釜を担当しております。

今回(3月)に担当する月釜のテーマは「私の茶道歴50周年を記念して」と言う事にさせて頂きます。

私は、今から50年前(6歳)の時に、初めて祖母にお茶を点てて貰って正座してそのお茶を頂きました。
芸事の世界で言う、所謂「6歳の6月6日」と言うほど畏まったものではありませんが、私にとりまして、茶の湯と文化に生まれ初めて触れたのも、この6歳の6月6日であります。
お稽古初めと言うほどの大層なものでは決してありませんが、畳にキチンと正座して「お薄」の頂き方を初めて習ったわけです。

それから、お茶は私の生活と常に二人三脚の存在になって行きます。

茶道の好きな、変な男の子でした。
親戚や御近所の方からも、きっとそう思われていたと思います(笑)

祖母は和裁士でありましたが、お茶を家で教えているほどでは無かったので、少し大きくなったら、近所で裏千家を教えておられた吉田宗晴と言う先生に入門しました。
数ヶ月遅れて、二つ歳下の男の子の本家の従兄弟と、近所の友達も一緒に習いはじめて、3人で毎週土曜日の午後はお茶のお稽古に行っておりました。
今から思えば、男の子供が3人でお茶のお稽古に行くなんて、かなり珍しい光景であったと思います。

祖母は沢山着物や袴を縫ってくれましたし、家族や親戚、周りの環境に恵まれた私の茶道生活でありました。

大学に進学して間もなく、吉田宗晴先生がご高齢でお稽古をお休みになられた時、一緒にお稽古に通っていた従兄弟も友達も既にお茶のお稽古をやめており私は1人になっておりました。
私も大学に進学し、周りの環境も変化したり、茶道もかなり長くお稽古したから、「ここまで習ったからもう良いかな〜」と思い、先生の休業と同時にお茶も卒業しようと思いました。

しかし、そのほんの数ヶ月の後、同級生のK山君に、一緒に大学の茶道サークルに入ろう!と誘われました。
K山君は、宇治で有名なお茶屋の息子さんで、ご両親から、茶道を習うように言われていたらしく、大学進学と同時にその大学の茶道サークルに入ろうと考えていたのだろうと思います。
私とK山君とは、高校時代からの親友で私が茶道を習っていた事を高校時代からしっていました。
その、k山君と付属高校から一緒に内部進学で大学も同じくし、茶道サークルも共に入った。と言う訳です。

茶道サークルに入ったら、そのサークルは、表千家でした。
そしてそのサークルに講師として入っておられたのが、次に私の先生となる山下宗月先生でした。
この出会いが、私の人生を左右する大きな出会いとなります。

山下先生は、私と初めて会った時に私に向かって「サークルでは無い日に家のお稽古の日に遊びにいらっしゃい」と言われました。

今、考えても、初対面でなぜ私に言われたのか不思議でなりません。

私は言われるがまま、先生のお宅の普通のお稽古の日にお邪魔して、一日中お稽古に参加し、帰る頃には、自分から「先生、来週からご自宅のお稽古に通わせて頂きます」と言っておりました。

山下先生のお稽古の様子、先生の人柄などに触れて、子供の頃から習っていた茶道とは全く違ったものでした。

そこから先は、皆さまがご想像になられる通り、これまで以上に茶道に嵌まり込んでゆきます。

その先生も大往生を遂げられ早や、7年以上経ちます。

私も昨年の誕生日で56歳を迎えておりまして、今年の6月で茶道歴50周年み迎えます。

それに記念し、これまでの50年間の私のお茶の思い出深いお道具で皆様に一服差し上げたいと思っております。
名品は何もありません。

3月23日(土)、24日(日)、25日(月)の3日間とも
10時〜、13時〜、15時30分〜の3席となっており各席とも、濃茶点前、薄茶点前の2部構成となっております。
会費は、6,000円です。
大変好評で、満席の席も御座いますが、まだ多少の空席もあるかと聞いております。
もし、ご興味ある方は、サロン三五夜さんに直接お問い合わせ下さい。

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大森教室

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