私はと言いますと、茶の湯部分の監修を務めさせて頂いております サロン三五夜での月釜を担当させていただきまして、前半の3日間はそれに費やされました。
その後、束の間の休憩もなく翌日も同じく三五夜でのプレミアム教室でのお稽古を致しました。
今日明日との中2日間は、予定は空きましたが、お茶会で使った道具の後片付けや、風雨で花びらの落ちた庭の掃除や露路の苔の手入れに追われまして、なかなか行楽どころではありません^_^!
最終4日間も毎日お稽古。
まあ、連休が終わりましてからゆっくり出掛けてたいと思います(笑)
さて、1年ぶりに担当させて頂きました三五夜さんでの月釜の様子をすこし当ブログにてお話しさせて頂きたいと思います。
因幡池田家の重臣、荒木家に纏わる本物の鎧兜をこの端午の節句に三五夜で飾る計画がありまして、
それならば。と、二階の広間にて私が月釜をさせて頂く運びとなり今回の事が決まりました。
荒木家の祖先、荒木又右衛門は、奈良の大和郡山藩にも仕えていた事もあり奈良にもご縁があります。
さてさて、一階にその様な立派な物を飾っているものですから、二階での月釜はどんな道具にすれば良いか。。。と考えておりましたが、
いくら考えても、我が家の蔵の中の道具が勝手に増えるはずも無く、端午の節句と初風炉の風情で私に出来るだけの事をすれば良いと思いました。
掛け物だけは何とか、古いものを用意出来る事が出来ました。
徳川家康の小姓で旗本の船越永景の消息であります。(消息とは、昔で言う手紙であります)
その内容は、茶人でもあった船越永景に、越中松山藩主 水谷勝宗が自身の所有する唐物の青磁の鉢と、古裂の鑑定を依頼し、その返事であります。
私自身も古書を全て読む事も不可能でしたので、
「なんでも鑑定団」でおなじみの増田孝先生が鑑定並びに読みくだししたコピーを床に置きました。
そして、その船越永景が好んだ「船越間道」と言う裂地の仕覆を持つ茶入も偶然持っていたので、お濃茶にはその茶入を使う事と致しました。
先程、
「いくら考えても、我が家の蔵の中の道具が勝手に増えない」
と申し上げましたが、
実は、一つだけ「勝手に増えた」ものがありました。
それは、当日 土風炉に用いた灰であります!
25年ほど前に、稽古用の風炉の灰の補いに安い灰を購入したのですが、その灰があまりにもみすぼらしかったので、古い抹茶を水で解いた物で練り直して、樽に入れて蔵の隅に放っておきました。
またまた、今回の事で灰を整理しておりましたらその灰が出て来ました。
恐る恐る樽の蓋を開けたら、カチカチに固まった灰が出てきまして、その大きな塊を園芸用の手鍬で叩き割って、さらに細かい目で振い、さらに乳鉢で微粒子になるまで抵りましたら、目も疑うほどの上質な灰に育っておりました。
そもそも我が家の風炉の灰は、上、中、下の三段階に分けて保管しておりましたが、その灰はまさに「特上」と言うところです。
千家では、初風炉は、土風炉を多く用います。
また、土風炉は、鱗灰と申しましまて特殊な灰型を致しますものですから、灰の良し悪しがかなり目立ちます。
今回は、25年かけて育った素晴らしい灰が蔵から私へののギフトです。
そんなこんなで、今回の月釜も連日全席満員御礼で皆様に喜んでもらえました。
連絡の行楽も宜しいが、
私にとりましては、やはり、この茶の湯の何もかもが何より1番楽しいのかも知れません。
堂後茶道教室http://www.dogo-sado.jpn.org
【日記の最新記事】